単なる語学留学からアメリカで企業、そして永住権の取得

何者でもなかった私がアメリカで何者かになるまでの経緯を順を追って記していこうと思います。

今でこそ笑い話だが、当時では絶望的な失敗は反面教師に。そして、数々の経験から得た秘訣は余すことなく共有していきますので、これからアメリカで挑戦を考えられている方、または漠然と何か成したいという方にとって少しでもお役に立てましたら幸いです。

まだ書き慣れていませんので、お見苦しい点もあるかと思いますが、どうか暖かい目で見守って頂きたく思います。

アメリカで何か形にしたい

日本での現状を変えたくて、勢いで渡米したものの、確かに生活環境は変わったが、気がつけばこの地でも同じような毎日の繰り返し。

英語は確かに上手くなった。しかし、この地での生活に慣れるにつれて、それ以上の、何かアメリカで形にしたいという想いがふつふつと滾ってくるのが自分でもはっきりとわかった。

アメリカの開拓精神が乗り移ったのだろうか。

漠然とした想いはあるものの、何から始めたら良いかわからず、手当たり次第に相談したり、以前から興味のあったフードエキスポに参加した。

運命の出会い

ある日、訪れたロサンゼルスのジャパニーズフードエキスポでラーメン業界ではかなり著名な某社長のTさんがいた。当然、面識もなく自分が一方的に先輩のフェイスブックで一緒に写っているのを見たことあるくらいの遠い憧れ、である。

そのフードエキスポでは、Tさんに話しかけることは出来なかった。この時のことを激しく後悔し、少しでもその思いを晴らそうとするかのように先輩のフェイスブックの投稿に写っているTさんを無意識に探していた。

ある時、手当たり次第漁るフェイスブックの写真の中に、すっかり見慣れたT社長と、もう一人気になる人物を発見した。

当時、LAとカナダを中心にフードトラック事業展開していた「JAPA DOG」の社長だ。

その時、自分の中で何か電気のようなものが走った。

「初めまして、突然すいません。この方を紹介してください」

気が付くと、フェイスブックのメッセンジャーからT社長に連絡、この時点では私のことを認知していなかっただろうし、それにちゃんと自己紹介する前に隣に写った別の方を紹介してください、というのは今思うと非常に失礼な話で、この時の行動がいかに考え尽くされたものではなく、突発的なものだったかよくわかる。

意外すぎるその返信の中身

今思うと、とても返信なんて期待してはいけないくらいに失礼なこと出会ったが、当時はそんなことを考える時間も与えさせないくらいに返信が即座に返ってきた。

T社長はいきなり話しかけて来たよくわからない若造にも関わらず、とても優しく話を聞いてくれるだけで無く、なんと番号交換もしてくれた。この辺りが実業家として成功している所以なのかもしれない。

そして、その二日後にJAPA DOGの社長と3人で食事に誘ってくれたのだ。

初めてのマイビジネス

そこから数珠つなぎにアメリカでフード事業をしている方を紹介してもらい直接会いに行き、とにかく多くの方の話を聞いた。

その中にはフードトラックをやっている方もいて、まだその時は自分がフードトラックを始める日が来るとは考えてもいなかったのだが。

まず最初に始めたことはフードブース出店。いきなり事業を興す前に、初期費用を安く、とにかくリスクの少ない形で行いつつ、市場調査とフィードバックが得られる屋台の出店は、まさに頂いたアドバイスの一つだった。

記念すべき初出店はフードフェスティバル。大勢の方が屋台を目的にやってくるこのイベントに対し、不安など全く無く、むしろ「いったいどれほどに儲かるのだろう」と、取らぬ狸の皮算用を始めていた。

初期費用がかなり安い、固定費用もかからない。売り上げのほとんどが収益になるのではないだろうか。そんな期待とは裏腹に、いざ始めてみるとそんな甘いものじゃなかった。

この時のことはまた機会を改めて書かせて頂こうと思う。それくらいに一言では語りつくせない事件の顛末、そして、そこから得た学びは私にとって非常に大切なものであったからだ。

屋台は簡単なものじゃない。いや、世の中に簡単なビジネスなんてないのだろう。

転機は突然に

様々な困難を経験し、イベントに招待されることも多くなってくると、単純に屋台を出す、というだけの話でなく、ありがたいことに企業案件のお話をいただくようになった。

そうなってくると、今までのように個人事業でやるには限界があり、ついに事業として会社を設立することを決心した。2016年のこと、である。

そして、時を同じくして、定期的に屋体を出展させて頂いているイベントでのことだ。以前から何度かイベントで顔合わせをしていたフードトラックの方が、今までの移動式販売から店舗を構えてビジネスを展開することになったらしい。我々の世界では理想的なスケールの仕方、である。

「今まで使っていたフードトラックどうしようかな」

このおめでたい話が私にとっても、私にとっても幸運な話であることに気がつくのには時間がかからなかった。

「私、やりたいです」

そこからの流れは起業を決心していたこともあって、物凄く早かった。市役所への登録やビジネスライセンス取得などを早々に済まし、オファーの数ヶ月後にはフードトラックをオープンさせる事ができた。

起業家としての始まり

かくして、執念と数々の偶然が重なり、私の米国起業家人生が始まった。今、振り返ってみても、奇妙な巡り合わせだったと思う。

人には「運が良かった」と評価されてしまいそうだが、私はこの自身の体験を通じて、運を引き寄せる何か、秘訣的なものを得られたと感じている。

このことに関しても、いつか丁寧に説明したいと思うのだが、その触りだけを今伝えるならば、「とにかく挑戦を続けること」。そして、「周りには運が良いと思われるようにその努力は隠すこと」と信じている。

このコラムを書き続けていくにあたり、その秘訣のルールの一つ、「隠して来た努力」を晒すことになるのだが、それは今まで私が多くの方のサポートを受ける一方の立場から、今度は私が自分が得たものを社会に還元する立場に変わったと信じてやまないからだ。

もちろん、これからも実業家としての孤独な挑戦は続く。今は少しでもその道のりを楽しんで行こうと思う。

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